もみほぐしサロンルポルポの店主の略歴を紹介させていただきます。

泣き虫だった幼少期

3歳

保育園に送ってもらっても母と離れるのが嫌で泣いていました。さらに、ぜんそくがあり体が弱かっためスポーツ少年団に入れませんでした。土日はとてもつまらなかったです。6年生くらいのころにはぜんそくは出なくなっていました。

部活に明け暮れた中高生時代

各務原のリラクゼーション ルポルポの村上巧(ムラカミタクミ)が中学生の頃のハンドボール県大会時の写真
中学校県大会時

スラムダンク全盛の時代でしたが、部活紹介でみたジャンプシュートに心を奪われハンドボール部に入部しました。そして初めて経験するスポーツに心が高鳴り、練習や試合が楽しくて仕方がありませんでした。

高校では陸上部に入部しました。

  • 走り幅跳び:6.5 m
  • 100m:11.5 秒

と平凡な記録で競技人生を終えました。
高校は無遅刻無欠席の皆勤賞で卒業しました。 

社会に殴られた気がした
新聞奨学生時代

村上巧新聞奨学生時代
青春時代の真ん中

「住むところと食事が提供されて奨学金までもらえる!めっちゃお得!!」
そう考えて、新聞奨学生に応募して福岡の専門学校に通いました。福岡の思い出は、

  • 配達した新聞を何度も盗まれ配達忘れだと決めつけられた
  • 配達のタイムアタックをして配達時間を短縮していたら配達部数を増やされた
  • 新聞代集金の為に深夜まで張り込みを強要された etc…

ところで、福岡に住んでいたなら天神の○○は知ってる?などと聞かれることがありますがほとんど分かりません。なぜなら学校から帰ったら働くか、配達に備えてすぐに寝ていたからです。朝刊の配達のとき、武田鉄矢さんの実家のタバコ屋の前を毎日通りながら、辛い制度に応募しちゃったなと後悔していました。

植木職人になるために京都へ

京都府の植木職人の会社に就職しました。ここは文化財に指定されている庭の手入れや造園の仕事をしている会社でした。この会社には伝統的な日本庭園の手入れの技術を手に入れようと志をもって入社しました。

入ったばかりの僕はゴミ拾いや大きな枝の分解などの力仕事がメインでしたが、これについては当たり前のことなので何も不満はありませんでした。

ただ、植木に殺虫剤を散布するときに頭からドバドバ毒を浴びることと、雨の日に命綱なしで高い木の上に登らされるのがどうしても我慢できずに仕事をやめました。

vs.東大生

仕事を辞めた後はフリーターをしながら勉強をして大学に編入学しました。

僕が進学校の出身ではなかったので大学は遊びに行くというイメージがありました。しかし、それは全く違っていました。学校には研究者になりたくてずっと勉強している人や、起業のために活動している人などとにかく頑張っている人がたくさん居て大いに刺激を受けました。

先生には、「例えば勉強が苦手な諸君が東大生と勉強で勝負するのは得策ではない。彼らと戦うときは勉強以外の土俵をこちらで準備して、そこで勝負しなければいけません」と教わりました。

若いうちとてもいいことをに教えてもらい、何か考えるときはこれがいつも僕の中心にあります。

心が枯れた会社員の頃

職種・業種は何でもよく、ただ誰かの為になってお金が稼げれば何でもいいやと思って、名古屋の会社に就職しました。会社員時代は責任感を持って10年間働きました。しかし仕事が楽しいとは思えませんでした。

お金のためだけに働いてこのまま人生が終わるのか…つまらない人生だったなと思うようになりました。

そんなときに各務原のリラクゼーションサロンで初めて体を揉んで貰いました。とても心地よく、お金を払うときに心からありがとうございますと思いました。この時から人を癒す仕事につきたいと思うようになり数年間悩んだ結果、退職してセラピストになりました。

趣味

会社員の頃はイラストを沢山描いて時間をつぶしていました。この時はマイナーなコンテストを狙って応募して図書券を稼いでいました。

フライヤーデザインのコンテストではデザイナーのプロと勝負して入賞することができました。大学で習った「自分の得意な土俵」は何かを考え、イラストレーターを使いながら中身は殆ど手書きで作ることを閃いて応募しました。

各務原のリラクゼーション ルポルポの村上巧(ムラカミタクミ)がUVレジンで作った傘。
UVレジンで作ったアンブレラ

UVレジンや樹脂粘土でも遊んでいます。ドライフラワーにもチャレンジしたいです。しかしサロンで仕事をする時間が無くなるので我慢しています。

セラピストデビュー

忘れられないセラピストデビューの日

各務原のリラクゼーションサロンでセラピストデビューした日の2人目のお客様の話です。僕が10秒くらい体を触っただけで「もういい、やめとく」と言わました。結局別のセラピストに代わってもらうことになり、涙がでそうになりました。

このことからお客様の体に触るのが怖くなりました。でも上手くなるためには経験を積み重ねるしかなかったので、2年間はほぼ休みなしで働きました。

もみほぐし時間が累計3000時間を超えたくらいから指が自分の体重に負けないようになり、体の大きなお客様が来店しても怖くなくなりました。

僕も優しくなかった

心に余裕がでてきたころ、美容院の一件で自分も「お客様に遠慮をさせていること」に気づきました。そして、サロンでお客様に遠慮をさせないためにまずは力加減を聞く回数を増やそうと決めました。

しかし始めはこれがどうしてもできませんでした。それは僕が下手だと思われるのが怖かったからです。何度も力加減を聞くのは経験が足りない証拠です。このセラピストは下手くそだと思われることに恐怖を感じました。

すごく悩みましが、そのころ僕は指名がほとんどゼロでした。冷静になって考えれば、僕が下手なのは既にお客様にはバレていたのです。

下手だから前向きに聞く

お客様に聞かなけらば分からないのは3流かもしれません。しかし、直接聞いて揉み残しがないようにしたり、疲れている場所を丁度いい加減で揉むことができれば、その結果はベテランセラピストに近付けるんじゃないかと思いました。

そして、2020年の8月から「加減をたくさん聞く」を始めました。その結果、翌々月から徐々に指名が増え始め、この年は74本の指名をいただくことができました。

それから、聞くこと以外にも遠慮をさせない方法を探して試してを繰り返しました。

そしてこの指名数は2021年には261本、2022年には500本とどんどん増えていきました。指名を増やすための取り組みではありませんでしたが、多くのお客様に選んでいただけるようになりました。

各務原のリラクゼーション ルポルポの村上巧(ムラカミタクミ)の指名本数の推移
ルポルポ村上の指名本数の推移

ルポルポをオープン!

サロンで働いているときは大きな部屋にたくさんベッドを並べていました。この為、セラピストと話をしたいお客さんとゆっくり休みたいお客さんのもみほぐしが同時に始まることがありました。

ルポルポ内装
ルポルポ内装

一般的にはもみほぐし中は静かにするのがルールになっています。でもこのきまりはリラックスするには窮屈だと思いました。リラクゼーションスペースはもっと自由でいいはずです。話したい人はセラピストと話せばいいし、眠りたい人は思いっきりイビキをかいて眠ればいいと思いました。

そこで僕がどんな人でも自由に癒される場所を作ろうと思いルポルポをオープンさせました。

予想通りルポルポの集客は大変

そんなに簡単にお客様を集められるとは思っていませんでした。が、想像以上にサロンの集客は大変です。ルポルポのホームページを作りましたが、ほとんど誰にも見られません。ルポルポのホームページはホットペッパーで当店を見つけてくれた人が予約をするかどうかを判断するときに利用して頂けているようです。もっともっと店のことを宣伝する必要があるので、日々集客を考えているところです。

ルポルポのチラシをポスティング中の写真
ポスティング中の1枚

どこかに疲れている人がいるはずなので、あきらめずに僕から迎えに行きます!
ルポルポで皆様を癒します。